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〒870-0942 大分市大字羽田648番地の1
期 日 | 団体・自治会 | 人数 | 内 容 | 備 考 |
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2月14日 | 宇佐院内自治会 | |||
2月10日 | 芦北消防団行政視察 | |||
(空港での、記念撮影。) | |
(仙台空港レンタカーにて、津波浸水ライン) | |
(田老グリーピア三陸宮古にて、田老仮設住宅「さけ幟づくりの会」の方々と震災から、今日までの話及び交流会) 廣瀬理事長のあいさつ | |
(田老町漁業協同組合 梶山理事のお話) | |
(記念撮影) | |
消防団の方々が、避難をしていた場所から撮影した漁港の様子) | |
(最大遡上高約38mの津波がこの場所にきました) | |
(慰霊碑の後ろの木に消防車の赤い塗料が付着していました。津波により、激しくぶつかり残っております) | |
(田老町の防潮堤前に、「さけ幟づくりの会」の大震災の記録の写真等展示しております。) | |
(展示の様子) | |
(田老町の防潮堤の上です。新しくコンクリートの嵩上げ部分が地盤沈下した高さです) | |
(今日より、ウニの海禁日、梶山理事が朝一番の漁を終え、私達に取り立てのウニを食べさせてくれました。) | |
(写真とは、関係ないですが、「梶山理事」「岩手県婦人消防連絡協議会千葉ときこ会長」と田老町の一番大きな、仮設住宅を見せていただきました。避難所の方々のお話も聞き、避難所生活の大変さ、また空家になっている部屋の中も見学させてもらいました。どれくらいの空間で生活をしているのか?プライバシーはあるのか?また行政の対応のお話など、考えさせられる問題点も少しは、見えてきます。) | |
(たろう観光ホテルの写真です。窓ガラス等無くなっている部分まで、津波がきました。上階よりビデオ撮影した映像を、敷地内のプレハブで、上映しています。) | |
(ホテルの松本勇毅社長より、「被災したホテルで当時の映像を見ることで、津波の恐ろしさを知ってもらえれば・・・」と力を込め,お話を聞かせてもらいました。) | |
(津波の恐ろしさを実感した、映像でした。) | |
(宮城県女川町立病院の高台の病院の駐車場より、見下ろしている写真です。右のフェンスごしのビルが真横に倒れています。17m超の津波が谷状の町を破壊しました。この病院の1階部分にも津波が押し寄せました。) | |
(石巻市役所にて、行政視察) | |
(被災し、今日までの行政等の取り組み、ライフライン復旧までの経緯など等詳しく経過を、話してくれました。) | |
(中央が、石巻市会議員「ちばまさよし」氏、大分にもスキルアップ研修等の講師として、お見えになっております。) | |
(行政に質問している廣瀬一策理事長) | |
(石巻市釜谷地区大川小学校の全校児童108人の7割74人の尊い命が犠牲になりました。小学校の裏山5分もあれば・・・避難できたのにいろいろな状況があったのでしょう。慰霊碑の前で今にも子供達の声が聞こえてくる思いでした・・・合掌) | |
(南三陸町防災対策庁舎3階建の屋上2mまで津波がおしよせ、町職員遠藤未希さんは、防災無線で「高台に避難してください」と最後まで町民に避難を呼びかけ続け津波の犠牲になりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます・・・合掌) | |
(壊滅的な被害受けた宮城県名取市閖上地区 かつては約5000人が住んでいた町が更地になりました。名取市閖上中学校前にて14名の生徒が犠牲になりました。) |
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(慰霊碑の前で) | |
(閖上地区遺族会の方々は中学校敷地内に慰霊碑を建立しました。手で触ってもらう様建てられております。) | |
(日本国際民間協力会と協力して「閖上の記憶」を建てました。慰霊碑を守る社務所として閖上げ地区の方々が、立ち寄れる場所として、震災を伝える場所として運営してます。お話を聞いていると思いが胸に・・・涙がとまりませんでした。) | |
(いたる所に、ポツン・ポツンと、家屋が当時のままになっています。ご家族全員が、亡くなられ、処理ができずに残っている状態です。) | |
(富主姫神社の前、標高6.3mに弁天様をお祀りする神社がありましたが、8.4mを超える津波に襲われ、破壊されました。今は、鳥居も建立され、閖上湊神社、富主姫神社と「合わせ神社」が再興されました。少しでも協力出来ればと訪れました。) |
今も仮設住宅で暮らしてます。 |
奇跡の一本松 |
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三陸防災庁舎の周りは嵩上げの状態 |
嵩上げ用の土砂のベルトコンベーヤー |
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田老町の嵩上げ |
南三陸町志津川高校から見た様子 |